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新鮮なこと、安全なこと
なにわの一流料理店が絶賛する「河内鴨」。飼育に75日かけ、出荷は一日200羽限定。これ、実は凄いこと。河内鴨は、飼料づくりや環境づくりに重点を置く。生き物に優しい丁寧な飼育方法を追求し、安全と美味しさを極めた合鴨肉として、料理人からの信頼を集めている。
ツムラ本店は、明治3年(1870)創業。当代は5代目、老舗の合鴨生産者だ。有限会社ツムラ本店の代表取締役、津村佳彦さん(54)が優しい口調で語りかける。「生のええもんを作るのが生産者や。そう思わんか」。
生のええもんを作る、それが生産者の役割であり、美味しいかどうかは消費者が決めてくれたらいい。そして素材を生かして美味しい料理にするのは料理人の役割だということである。言い換えれば、河内鴨は生で食べても料理にしても間違いないということ。実に、生産者の自信と誇りに満ちた一言だと感じた。
佳彦さんと筆者は10年ほど前にもお会いしている。当時はもっとコワモテだった。今はかなり穏やかな雰囲気に変わっているが、その話は後ほど。
秀吉から続く、なにわ合鴨食文化
大阪の合鴨生産の歴史は古い。由来は、農家から天下人になったといわれる、あの豊臣秀吉。琵琶湖の鴨肉が大好物だった秀吉は1500年代後半、近江の長浜から大坂城に居を移してからも鴨肉が食べたいと大坂の農家に飼育を奨励した。
これによって大坂城の東部から河内の松原にかけて広がる湿地帯は合鴨の一大生産地となった。その名残か、昭和40年代までは大阪が合鴨生産量日本一であったという。しかし、高度経済成長時代の都市化や安価な輸入物が現れることにより、数百軒あった合鴨生産者は減少の一途を辿る。
ツムラ本店はもと、津村孵化場という孵化専門の生産者であった。昭和58年(1983)に孵化から飼育、精肉までを一貫生産、販売する経営へシフトした。先代の英断だった。今でこそ日に200羽を扱うが、当初は一日3羽しか精肉にしていなかった。
河内鴨、真骨頂は刺身
店は徐々に評判を呼び、河内鴨の商標も取得した。日本を代表するブランド鴨の地位を築き上げてきたが、今日に至るまでその道のりは長い。着実な歩みの歴史があった。社のモットーは、「かわいいヒナから、おいしい合鴨肉まで」。その精神は、大切に受け継がれている。
大阪にはそもそも地鶏というものがない。なので、大阪の地鶏肉は河内鴨であるといっても過言ではない。上方の食文化の一つである鴨なんばや鴨すきは太閤の時代から現代まで愛されているが、河内鴨の真骨頂は生で食べられる刺身だ。
ぽりぽりおいしい、合鴨のエサ
「まあ食べてみて」と、合鴨のエサを手渡された。厳選した安全な材料を独自に配合して作ったこだわりの飼料である。ぽりぽりと佳彦さんがおいしそうに食べるから、こちらも恐る恐る口にした。なんとこれが結構いけた。まるで自然な風味のお菓子のようだ。体に良い食べ物=エサであることが一発でわかった。
朝昼晩、鴨の顔が見たい
エサが美味いから合鴨の食欲も旺盛になるとのこと。エサを与えるのと同時に、合鴨の健康状態をチェックする。日課である。「一羽一羽、顔が違うんやで」とさすがプロ。
それにしても、美しい畜舎であった。畜産や養鶏農家を訪れる機会が多い筆者の経験の中でも、ツムラ本店の畜舎はトップクラスに清潔な環境だといえる。最良の食事や空間が提供され、くわえて佳彦さんの目配り、気配りがあって、最高の合鴨が育まれている。
地蔵盆、やってまっせ
ツムラ本店の前に、立派なお地蔵さんの祠があった。祖父の代に戦災で世話人のいなくなったお地蔵さんを譲り受けて、自宅前におまつりしたのがはじまり。今の世話人はもちろん、佳彦さんである。
お地蔵さんがあるので、毎年8月23日には地元の子どもたちのために地蔵盆を開催している。地蔵盆では子どもたちにお菓子が配られ、恒例の河内音頭も人気だ。周囲が住宅地となったこの界隈で、今も合鴨農家を続けられるのは、畜産環境の整備だけではない。佳彦さんが地域との共存、共栄を願う心を持っているからだ。