農業が就職先の一つになる世の中にしたい。

大矢耕平さん トマト

(おおやこうへい / 大矢農産)

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耕作放棄地を借り、トマトを始める

農業を始めて、3年とちょっと。大矢農産の代表、大矢耕平さん(27歳)は交野(かたの)市内のビニールハウス15アールでトマトを栽培している。トマトのサイズは、ミニ、中玉、大玉。

「実家は農家ですが、父は家具職人。ごく一般的な、兼業農家です。自分が農業を継ぎ、いざトマトを栽培しようとハウスを建てる決断をしても条件にあう農地がありません」。

そこで耕平さんは、山間部の耕作放棄地を農業委員会の斡旋で借りた。10アールの農地に4アールほどのハウスを建設して、大矢農産はスタートした。

篤農家(とくのうか)の言葉で、人生大転換

耕平さんは以前、農業共済組合に勤務していた。農業共済とは、農家が出した掛け金で共同の準備財産をつくり、災害発生時にはそこからの補填で農業経営を守る相互扶助の制度である。高齢化、後継者不在、耕作放棄地の増加など、担当農家を訪れて、耕平さんは農家が抱える問題を目の当たりにした。「自分の代でうちの農地も早いこと売却しようかな」。当時は、そう思っていたそうだ。

しかしある日、地域の熱心な農家と出会う。「その農家さんは、農業は儲からんからやめたほうがいいなんてことは一切言わないんです」。

次のような会話を機に、耕平さんの気持ちは180度転換する。「むしろ農業って大事やで。農業を守るということは、人と社会を守るということなんやで。地域に農業は絶対必要。交野のために誰かがやらなあかん。その農家さんの言葉が、僕の中にグイグイと入ってきたんです」。

農業は、人生のステップアップ

耕平さんの気持ちの変化は、自身のバックグラウンドによるところも大きい。「自分の生まれ育った交野が大好き。交野は人情あふれるいい町なんです。祭りでは地元の青年団や消防団が活躍します。うちの2歳になる子供も、お囃子や掛け声をきくとテンションがあがるんですよ」と、熱く語る耕平さん。農業が地域を守るという話が、地元への愛着、祭事の活気、我が子の表情と重なる。

組合を辞めたのは、24歳のとき。耕平さんが、結婚した年だった。「人生の節目。ステップをさらにあげようと思って、農業への参入を決意しました」。

目指したのは、スマートな農業経営

耕平さんは、産業として成り立つ農業の確立を目指し、自らを「農家」ではなく「農業経営者」と名乗る。交野市の気候や風土、立地条件等を考え、栽培品目として選択したのはトマトだった。

農業を始めた頃、「この肥料を一握りやったらええから」という先輩農家のアドバイスに困惑した。正確な量を聞くと「細かい事を言うな」という。「一握りという言葉がピンとこなかったんです」。

その後、「BLOF(バイオロジカルファーミング)」という栽培理論に出会い、共感する。BLOFは、植物生理と土壌の生態系のメカニズムを基礎とした栽培技術の一つである。導入してわずか数年で、品質向上と高収量を実現。その成果に、近隣の農家は大いに驚いたという。また、メーカーと協力してIoT*を試験導入した。現在、データに基づいて栽培管理を行う、スマート農業を実践中。

*IoTとは、Internet of Thingsの略。モノが相互に通信しあい、遠隔からの認識、操作、制御などを可能にすること。

樹で完熟させてから収穫する大矢農産のトマトは重量感があり、糖度、酸味、旨味のバランスが絶妙。栄養価の高さはデータで検証ずみである。さらに、大阪エコ農産物*の認定も取得している。

*大阪エコ農産物とは、農薬や化学肥料の使用を通常の半分以下に抑えて栽培された大阪府が認証する農産物のこと。

消費地が近いからこそ、毎日が勝負

大阪農業の利点や魅力についてたずねると、「怖いです。正直」と意外な応えを口にされた。

「消費者が近くにいるぶん、販売のチャンスも多い。ビジネスとしての成長が早い反面、お客様の評価基準は厳しい。一度でも美味しくないトマトを出してしまうと、あそこはイマイチという情報が口コミで広がり、誰も買ってくれなくなりますよね。農業ベンチャーにとっては、毎日が真剣勝負です」。

これまでは直売とネット販売を中心に展開してきたが、今年は農園での収穫イベントも実施した。一般的にはあまり馴染みのないオレンジ色のミニトマトも提供した。実際に畑へ来て試食し、五感で感じてもらうことで、かなり人気のトマトとなった。

今後も、トマト狩りのような体験型農業を企画する予定でいたが、残念なことに台風21号によってハウスの8割が損壊した。惨事に見舞われ、農園での直売や収穫体験は、延期を余儀なくされている。ハウスの復旧と再建にむけ、目下奮闘の日々である。

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