通勤農業と24時間営農のアイガモ農法。

井関俊輔さん・優佑さん 米

(いせきしゅんすけ・ゆうすけ / 井関農園)

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大阪池田から丹波篠山の田んぼに毎日1時間半かけて通勤する井関俊輔さん(32)と優祐さん(28)兄弟は、有機栽培アイガモ農法の先駆者として名高い「井関農園」の跡を継いでいる。

農園代表で父の義次さん(62)は、「大阪府『農の匠』の会」の会長を務めたこともある、文字どおり「匠の技」を持つベテラン農業者である。井関農園には10年前、アイガモ農法の視察に行かせていただいて以来の二度目の訪問で懐かしい。アイガモ農法が描かれた作業場の外観も色褪せていなかった。

やるやん!通勤農業

義次さんはかつて地元でミニトマト栽培農家として名をはせた。都市化が進む池田市から新天地を求めて、ミニトマト栽培の拠点を篠山市に移した。1988年のことだ。篠山ではコシヒカリ、米の栽培にも着手する。

暮らしは池田、働く場所は篠山だ。農業は職住近接が一般的なので、毎日の通勤はさぞ大変だと思うが、近年注目されている「通勤農業スタイル」を義次さんは20年前に築いた。父の背中を見て育った井関兄弟のお二人は、毎日の通勤をまったく苦にはしていない。偉大なオヤジさんである。

アイガモは住み込みの24時間勤務

井関農園は1999年に「アイガモ農法」に取り組み、2002年には有機JASの認証も受けた。今年は5ヘクタールでアイガモ農法を行なっている。10アールあたり20~30羽、合計1300羽のアイガモが放たれている。

アイガモ農法の起源は安土桃山時代にさかのぼる。「大阪府種あひる農業協同組合」が1993年に発行した創立45周年記念誌『大阪あひる』には「秀吉が奨励」と記されている。琵琶湖の鴨肉の味を忘れられない太閤・豊臣秀吉が大坂の農家にカモ、アヒルを水田で飼育するよう奨めたのが始まりだ。合鴨肉は「鴨なんば」に見られるように、なにわの食文化に根づいた。大阪府民が合鴨肉を好んで食べるので、大阪が食肉あひるの生産量ナンバーワンの時代もあった。

秀吉説の真偽はともかく、合鴨がいつも田んぼにいるアイガモ農法の効果は絶大だ。合鴨が稲につく害虫を食べ、田んぼを泳ぎ回って雑草の成長も抑える。そのような合鴨の刺激で、稲は強く育ち台風でも倒れにくい、フンは肥料として稲に吸収される。おまけに高級品の合鴨肉までついてくる。一石二鳥の農法である。

といいつつ、田んぼから逃げ出した合鴨を追いかけ回すことも時にはある。兄弟そろって「蝶々でも追っかけてるんちゃうか?」と笑われることもあった。ほのぼのした光景が目に浮かぶ。

家族の連携プレーで巨大な農業機械やライスセンターをフル稼働

井関農園が営農する総面積は14ヘクタール。甲子園球場のグラウンドが1.3ヘクタールというからその10倍以上だ。よほど忙しい時でなければ、基本的に3人で農業をしている。驚くべき経営だ。父、兄がコンバインで稲刈りをして、弟がライスセンターに運んで乾燥機を動かす。親兄弟の絶妙な連携プレーだ。

乾燥した玄米は13℃に保たれた大きな低温倉庫で保管される。これが鮮度を保持し続ける秘訣。いまでもかなりの大規模だと思うが「まだまだ大きくしたい」と弟優祐さんの夢はさらに大きい。頼もしい限りだ。

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