アメリカ研修とブルーベリーの恋。

山本真土さん ブルーベリー

(やまもとまさと / 山真農園 まーるいかんぱにー)

  • 南河内
  • JA大阪南
  • ブルーベリー

富田林市に「特製かき氷」が噂のブルーベリー園がある。名前は「まーるいかんぱにー」、園主は山本真土(まさと)さん(35)。西板持(にしいたもち)町で大阪なす、海老芋、ブルーベリーを栽培している。

退学寸前、農業大学時代

地元小・中、高校を卒業した真土さんは、推薦入学で大阪府立環境農林水産総合研究所農業大学校に進学した。進学はしたが、真土さんは、勉強があまり得意ではなかった。代わりに近所の造園屋や焼肉店、イベントの着ぐるみ、お祭りや縁日の露店などアルバイトにあけくれた。

実家に帰らず、友だちの家を渡り歩いていたら、じきに出席日数が足りなくなった。卒業まで、一度の遅刻さえ許されない状況に陥り、学校の駐車場で車中泊を送るという綱渡りの生活。結果すべりこみで卒業、なんともワイルドな青春だ。

アメリカへ行きたい!

ある日、国際農業者交流協会による「アメリカ農業研修プログラム」のポスターが目に入った。これだ、と思った真土さんは応募する。しかし農家の息子といえ、アメリカ研修への参加は簡単なものでは無い。渡航前に、地獄の研修が待っていた。

まず井上さんの有田みかん園での研修。井上さんはハンマー投げ日本3位の猛者である。次は富士山に冷蔵庫を運ぶ歩荷(ぼっか)をしていた大嶋さんの白菜農園での栽培研修。成績こそ優秀ではなかったが、2つの農園の厳しい研修に耐えた者として、2年間アメリカに派遣してもらえることになった。

人生の伴侶との出会い

渡米してまず入ったのがワシントン州のリンゴ農場。大きさは全米で5本の指に入る。続いてオレゴン州のモンテクッコファーム。ルバーブやビーツ、カブ、白い人参、ブルーベリーを生産している、こちらも大きな農園だ。アメリカの農場にはメキシコ人がたくさん働いている。真土さんは英語ではなくスペイン語を覚えた。

次にアメリカ農業の専門教育を受けるため、カリフォルニア州ハートネルカレッジに向かった。そこで日本からの留学生、留似さんと知り合い、恋に落ちた。学生恋愛は束の間、真土さんは再びオレゴン州の農場実習に戻ることになる。留似さんとの遠距離恋愛がはじまった。

忘れられない生涯の味

オレゴン州モンテクッコファームで農業に打ち込んだ真土さんだが、過酷な生活が続いてやせ細っていた。ある日、浮かない顔をしていた真土さんにファームで働くマリオさんが「死にそうな顔をしているじゃないか。これを食え」と差し出してくれたのが、ブルーベリーだった。

「世の中にこんなうまいものがあるんか!」真土さんが生まれてはじめて、畑の作物を美味しい、と思った瞬間だった。

帰国、そして結婚

アメリカでの農業研修も終了を迎え、帰国までの数週間、どうしても留似さんに会いたくて、オレゴンからカリフォルニアまで自転車で向かった。隣の州とはいえ、大阪と北海道くらい離れている。高速道路を自転車で走ってポリスに捕まったり、お金が尽きて自転車を売ったりの珍道中。ヒッチハイクにもチャレンジした。農業大学時代からの行動力は、渡米してからも変わらなかったようだが、結局、カリフォルニアへは辿り着けなかった。留似さんには会えずじまいのまま、帰国。帰国後は家業の農業を手伝い、造園屋のバイトで食いつないだ。

アメリカ農業とかけ離れた家業の現実に戸惑い、帰国して以後「農業はただ手伝っている感覚だった」と当時の心境を真土さんは振り返る。そんな戸惑いの最中に留似さんが、帰国留似さんが帰国すると、すぐに結婚。新しい家族ができたことで、真土さんの気持ちは大きく変わった。留似さんから「鋼鉄の体力の持ち主」と言われるほど、働きぶりは変わった。

ある日、二人で行ったスーパーにブルーベリーが売られていた。買って食べてみたが、味気なく感じた。真土さんは、あのオレゴンで食べたブルーベリーの味を思い出し、自分でブルーベリー農園をひらくことを決意した。

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