田んぼに出れば生産者、店に立てば料理人。

中西正憲さん れんこん

(なかにしまさのり / 株式会社門真れんこん屋)

  • 北河内
  • JA北河内
  • れんこん
  • 門真れんこん

門真市は、大阪市の中心部から直線にして10kmほどの距離。松下幸之助を祖とするグローバル企業パナソニックが本社を置く街として有名だ。タイガー魔法瓶や東和薬品、フィギュアの海洋堂なども本社を置く、全国有数の企業都市である。

門真れんこんの故郷と歴史

大阪の食の世界で門真と言えば、そう「門真れんこん」である。門真れんこんの歴史は、名だたる大企業よりもずっと古い。

門真で代々蓮根を生産してきた中西正憲さん(61)に話を伺った。「江戸時代あたりまで、門真一帯は低湿地帯で稲作に不向き。代わりに栽培されたのが蓮根やったんや」。「地蓮(ジバス)」と呼ばれる地域に自生していた在来の蓮根を、池や沼に植えて育てたのがはじまり。素潜りで収穫する独特の「沈み掘り」という技法も生み出された。

「なにわ商人は蓮根を食わんかった」

門真の立地は、大消費地大阪市の真横。食料生産地として優位性は高い。しかしなにわ商人は「商売に穴が空く」として、蓮根をあまり食べなかったという。

そこで大和(奈良)に販路を築いたのだが、道中、山賊に襲われ収穫した蓮根を奪われる事態が相次いだ。考えあぐねた門真の蓮根生産者は春日大社に二基の灯籠を寄進、大社からは御用提灯(ごようちょうちん)を賜った。現在、世界遺産に登録されている、あの春日大社だ。

その提灯を掲げて蓮根を運ぶようになってからは、山賊に襲われることがなくなったという。以降、奈良をはじめ大阪天満の青物市場でも蓮根が数多く取引されるようになり、大阪の食文化に根付いた。門真れんこんは歴史が長く、奥が深い。

2006年、この歴史を語り継ぐため、正憲さんを中心に結成されていた「門真れんこん発掘隊」が「春日若宮おん祭」に参加。「河内蓮根奉納行列」を出し、以来毎年門真れんこんを奉納している。

「河内れんこん」と「門真れんこん」

大阪河内地方の蓮根は「河内れんこん」と呼ばれている。河内の蓮根栽培の発祥が門真であるということから、産地ブランド化を進めるため門真産の蓮根は「門真れんこん」と名付けられた。

「ひいじいさんの久米松が田んぼにも蓮根を植えたんや」。加賀や備中など、全国各地の蓮根産地との交流を深め、池で育てていた在来の蓮根だけでなく、いまに続く主力栽培品種の種芋にたどり着いたのが正憲さんの曽祖父の時代。蓮根は、門真をはじめ河内の特産品として一気に広まり、一時は他産地を凌駕するほどの産地作物となった。

「門真れんこんは体重で掘れ」

蓮根農家に生まれた正憲さんは、当然のこととして小さい頃から農業に親しんで育った。蓮根掘りは16歳からというベテラン生産者である。しかし学校を出てすぐには農業を継がず、サラリーマンになった。自動車メーカーの販売会社に就職して、トップ営業マンに登りつめた。「営業ノウハウとセンスを磨かせてもらった。部下や後輩たちに営業ノウハウの講師もしていたよ」

と当時の話をしながら、備中鍬を操り、見るからに重たそうな泥土を掘り上げていく。「門真れんこんは体重で掘れ」という言葉からも、その重労働が伝わってくる。「門真の土は鉄分を含む重い粘土質やから、引き締まった美味い蓮根が育つんや」

1 2

この記事をシェアする