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なすび農家3代目、なすびヘアで登場
あれ、髪の毛なすび色?「いやあ、せっかく取材に来てくれるから、なすび色シルバーにしようとしたら、みんなが大阪のおばちゃんみたいや言うから、ちょっとだけ紫に染めたんです」。ちなみに、以前は金髪だった。
サービス精神旺盛な浅岡敬勝さんは、富田林市で50年以上続く農家の三代目である。田んぼも畑もあるのが当たり前の家で育った。大阪なすだけで6反(約6000㎡)、大きな鉄骨のハウスで育てている。「富田林は山が近くて、水もいいでしょ。だから、ええなすが育つんです」と敬勝さん。
局長賞、連続受賞の実力
「大阪なす品評会」において2014年、2015年と連続で近畿農政局長賞を獲得している。手間をかけ、一つ一つの花を人工受粉させる。種がなく、大きくて柔らかく育つのが、大阪なすの魅力。富田林の特産である。
2017年に父親から代表を引継いだ。それを機に、屋号を「浅岡農園」から「ファームライダース浅岡農園」に変えた。屋号を変えたのには訳がある。代表になったから、以上の大きな理由があった。
こちらはバイク好きの、浅岡
「決定的なのは、近所の農家にもう一軒、有名なヤツがおるからです。すぐ間違われる。作っているもんも一緒やし」。敬勝さんは続ける。「ふつうに富田林、浅岡農園でネット検索したら、あっちが出る」。あっち、その有名なヤツとされるのは以前、やるやん!大阪農業でご紹介した浅岡弘二さん。
同じ富田林で「アーバンファームASAOKA」を営む。同姓で同級生、どちらも農家の後継ぎである。誤解を招いたらいけないので断っておくが、2人の浅岡さんは仲良しである。
敬勝さんは、屋号に「ライダース」とつけたように高校時代からのバイク好き。早々に大型免許を取得し、でっかいバイクを買いたいと思っていたそうだが、先にでっかいバイクを買った人がいた。父だ。親子そろってバイク好き、機械好きなのだ。
富田林へ、和歌山から通勤
高校を卒業してすぐの就農に抵抗があり、クルマ関係の仕事に就いた。いずれ農家になるつもりはあったが、2歳上の兄が跡を継ぐことになる。兄貴がやるなら、サラリーマンを続けていこうと決め、結婚。結婚後は奥さんの実家がある和歌山県橋本市に住み、家も構えた。ところが人生、何が起こるかわからない。兄が農業を辞めたのだ。敬勝さん、27歳のときである。
もともと農業は嫌いではない。継いでもいいと考えていた。敬勝さんは、奥さんを説得して三代目となったのだが、家は橋本市にあり、奥さんも仕事をしている。子どもたちも学校がある。そんなわけで毎日、クルマで橋本市から富田林へ通っている。
6反の苗植え、出荷、すべて手作業
ファームライダース浅岡農園にうかがったのは、大阪なすの出荷が最盛期の6月初め。この日はいつもより出荷量が多く、箱詰め作業に追われていた。さすが6反、量が違う。
働き手には、両親と敬勝さん以外、両親の代から手伝ってくれている女性パートさん達がいる。少し前から男性従業員が加わった。サラリーマン時代の同期だった田中さんだ。今は敬勝さんの頼れる右腕である。
「整理、整頓、迅速」と倉庫に大きく貼り紙がある。整理整頓が行き届いた庫内。苗植えから収穫、出荷の箱詰めまで、敬勝さんの農園では、一貫して手作業で行う。
たい肥は自家製、発酵に一年
富田林市は、戦後からなすを作っている土地である。良いなすが育つのは「富田林が農業に適した地域だからだ」と敬勝さんは言う。農業で大切にしていることは、やはり「土」だという。
地域から出る樹木の剪定くずや米の籾殻で、自然の力を利用して自家製たい肥を作っている。たい肥を発酵させている場所があるからと案内してもらった。「ここで1年間、積んでおいて発酵させているんです」。
近くに立つと熱を感じる。気を付けながら手でそっと触ってみると、かなり熱い。たい肥にする鶏糞は、自宅がある橋本市の養鶏組合から分けてもらっている。この自家製たい肥を圃場へ投入する。柔らかい土壌ができ、通気性、水はけが良くなる。微生物が育ちやすくなる。