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大阪生まれ+高知育ちの佳世さん
「お久しぶりです」河内長野の「よしだフルーツファーム」を訪ねると、なつかしい声。吉田佳世さんと初めて出会ったのは、2007年。大阪府有機農業研究会が主催した有機農業を学ぶ勉強会に、当時OLだった佳世さんが参加していた。
その後の運命的な再会は2009年。農水省の「マルシェ・ジャポンプロジェクト」(大都市の中心部で生産者が直接販売する仮設型の市場を開設する支援事業)の、大阪で採択された運営団体のスタッフとして一緒に仕事をすることになった。
当時の佳世さん情報は以下のとおり。
・大阪生まれだが、父上の仕事の都合で幼少期より高知で育ち、高知弁がペラペラ
・ご両親は高知県在住
・18歳の進学時に神戸へ単身移住
・大手広告会社で勤めていたが、最近、(財)泉佐野公園緑化協会に転職
・将来の夢は、農業を通じて人と人をつなぐような仕事をすること
その時、高知に戻って農家になるつもりなのかな、と勝手に解釈していたのだが、それはとんでもない勘違いだった。10年ぶりに再会した佳世さんは、「犬鳴ポーク」の生産者である川上寛幸さんと結婚され、河内長野でブルーベリーを愛する農業女子になっていた。
おじいちゃんが遺してくれた里山をリバイバル
佳世さんの祖父は、生前、地域名産の大野ぶどうを栽培していた。そのブドウ園は、高知県ではなく、まぎれもない大阪府の河内長野市(大阪狭山市との境界あたり)にあったのだ。
吉田家の夏休みは、毎年、高知県から大阪府に帰省。佳世さんには、いとこたちとみんなでブドウの出荷作業の箱折りを手伝うと、夏の終わり頃にご褒美として「サンリオの福袋」を買ってもらえるのが楽しみだったという幼き日の思い出がある。
おじいちゃんが亡くなってからの里山の管理は親戚の叔父さんが担ってくれていた。高知大学で教鞭をとっていたお父さんは、定年後に大阪に戻るつもりだった。
一方、大阪の広告会社でバリバリ仕事をしていた佳世さん。疲れ気味だったある日の昼休み、近くのガーデニングのお店でパキラを買って、デスクに置いた。忙しい日もデスクの緑を見ると気持ちがほっこりして癒やされた。
佳世さんが植物に興味をもつようになったのは、その時からだ。早速、ガーデニングの学校に通い、その後、京都造形芸術大学のランドスケープ学科(通信)にも進学。興味は、公共空間や里山の再生、コミュニティデザインなどにも及んだ。「おじいちゃんが遺してくれた里山を、人が集まる空間に再生したい」
見晴らし抜群のよしだフルーツファーム
よしだフルーツファームが誕生したのは、2014年。現在で5年目を迎える。大阪府河内長野市の小山田町にある約50アールの里山。急斜面を登りきった高台からは、金剛山や和泉山脈を見渡すことができる絶景が目の前に広がる。
これまで管理をしてくれていた叔父さんが、スイカやダイコンなどの重い野菜を運ぶときに、疲れて息をきらし、何度も坂道で休憩しているのを見ていた。ここは、重たい作物の栽培には向かないことを叔父さんが身をもって教えてくれていた。
人と人をつなぐ空間をつくりたいと思ってきた佳世さん。長きにわたり大学教授として有機化学を研究してきた父上。園芸が大好きな母上。この3人で何ができるか、何をしようか相談していたときに、お母さんが言った。「以前、高知のブルーベリー農家さんを訪ねたことがあり、その時から、ブルーベリー農家に憧れている」ブルーベリーなら軽量で収穫しやすい。
農業を通じて三者三様、各々が自分の道を切り拓き、夢を叶えたいという想いをカタチにしたのが、よしだフルーツファームなのだ。現在は、主としてブルーベリー、アロニア、レモン等の柑橘類、栗、その他自家用野菜を栽培している。