父の代からの「すべて大粒」ぶどう栽培。「ほしぶどう」も自社加工。

田中隆二さん 大阪ぶどう

(たなかりゅうじ / 株式会社田中ぶどう園)

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天然の地下水で育つ大粒ぶどう

農家の三代目・田中隆二さんが栽培するぶどう園は、天野山の麓に広がる日当たりの良い南向きの斜面にある。

標高150mから200mの場所にあり、最低気温は大阪市内に比べると2度ほど低い。朝夕の寒暖差が大きく、夕方から夜にかけて冷やされたぶどうは糖度が増し甘く育つ。

取材に訪れたのは7月後半、大粒のぶどうがふくらみ始めていた。「もう少しすると、粒が太ってきて色づいてくるんですが、暑さが続いてしまうと、いい色になりにくいんですよ」。

色づきをよくするために、園主・田中さんは、夕方に冷たい水で打ち水をし冷やす。山から湧き出る地下水を利用しているので、真夏でも水は冷たい。「うちは、じいちゃんの時代からの井戸が残っているんです。じいちゃんの頃は、生活用水のためだったんですけどね」。

井戸を掘ってくれた初代のじいちゃんは、柑橘類や柿を栽培していたそうで、ぶどう栽培を開始したのは、二代目のお父さんの代になってからだ。

当時栽培していたぶどうは、種ありの巨峰だったそうだ。昭和30年代には高度経済成長の影響をうけ、値段は暴落したそうだ。今のようなハウス栽培になったのは、三代目・田中さんになってからだ。23種類の大粒のぶどうだけを育てている。

情熱をかけて作ったぶどうを「ほしぶどう」に

ぶどう畑から道を隔てた作業場に入ったとたん目に飛び込んできたのは、大型の食品乾燥機だ。個人の農家ではなかなか見ることがないものだ。

田中さんは平成25年に法人を設立し、栽培だけでなく、6次化にも取り組んでいる。「どうしてもB級ものができるんで、『ほしぶどう』にしているんです。食べてみますか?」と、作業場の奥にある冷凍庫から色とりどりの「ほしぶどう」を出してくれた。

ひと粒、口に入れたとたん、思わず、目を見開いてしまった。おいしい!

普通みなさんがイメージする「レーズン」と呼んでいる干しぶどうとはあきらかに違う、すべて大粒のぶどうを乾燥させたものだ。

サニードルチェ(鮮やかな赤色)、彩雲(珍しい瀬戸ジャイアンツ赤系統)、昭平紅(しょうへいこう。巨大粒のボリュームのある品種)、赤嶺(せきれい。山梨の甲斐路の枝変わり早生種)、天山(てんざん。大きな緑のぶどう。大きさは田中ぶどう園でナンバー1)、しまねスイート(多汁な大粒種で、完熟すると黄色がかってくる非常に珍しいぶどう)。

そして、ご存じの方も多い、瀬戸ジャイアンツ、シャインマスカット等々、皮ごと食べられるぶどうを10種類ミックス。「いわゆるミックスナッツみたいなもんです」。ひと粒ずつ、色も違えば、大きさも味も違う「ほしぶどう」である。

商品開発は試行錯誤の連続だった

せっかく苦労して作ったぶどうを少しのキズや傷みで破棄しなくてはならなくなったり、安値で取引されることにはがゆい思いをしていた田中さんは、何とか別のカタチに加工できないかと考えていた。そんなときに6次産業化推進整備事業を知り、思い切って加工品作りに挑戦することにした。乾燥機を導入し、「ほしぶどう」作りに取り組んだ。

取り組んだとはいうものの、初めての経験だったため試行錯誤の繰り返しだった。湿度の調整や乾燥時間の塩梅など、最初はなかなか思うようにいかなかった。効率を考えれば早く乾かしたいが、そう単純なものではない。歯ごたえがあり、おいしい「ほしぶどう」でなければ意味がない。何度も湿度や温度を変えながら挑戦し、やっと納得に行くものにたどり着いた。

品種もいろいろ試した結果、食感を考え、すべて皮ごと食べられるぶどうにした。「皮ごと食べられないぶどうは、ほしぶどうにしたときに違和感があるんです」と言う。

「ほしぶどう」だけでなく、「柿チップス」も作っている。今ではぶどうの規格外品はほとんど加工できるようになっている。また冷凍保存することで製造時期を調整することもできるようになり、年間を通して供給できる体制が整ってきた。販路も広がり、生産した農作物のロスが減り、収益の改善にもつながった。

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